zanzibar 30-1. dec. 2002

 

窓のから射し込む朝の光で、ハッと目を醒ました。慌てて窓の外をカーテンの隙間から覗くと、まだ水平線から顔を出したばかりの太陽がぬるい光を放っている。ベッドから飛び起きカメラを手に外へ飛び出す。30秒もあれば裸足の足はもう海に浸かっている。なんと言う素晴らしいロケーションだろうか。オレンジ色の光が、渇いた熱帯の景色に情緒と云うものを与えてくれる。朝の凪で水面は鏡のようだ。浜辺には人はまばらだが、昨日船に乗せてくれたナホダが大きな穴を掘りなにかを捕っているのが少し先の方に見えた。近付いて挨拶を交わす。身体が腰の辺りまで入る深さの穴でゴカイを捕っている。今日の釣りのエサだ。粘土質の白い土が棒一本でサクサクと小気味良く掘られて行く。それにしても、朝から重労働だ。シンプルに素朴な暮らしと言っても、見かけ程楽ではない。休日に日本から遥々やって来たおれには、のんびりといい場所でも、ここに住んでいる人には、逃げ場の無い暮らしの現場だ。フォトジェニックな朝の光は、のどかな村の素朴な暮らしの現実をも照らし出していく。ダイナミックに掘り進みながらも、丁寧な手つきで土の塊を砕きながらゴカイを探して行く。洗面器をひと回り小さくしたような器の中で、ゴカイ達が諦めたように蠢いていた。

7:30、ミモと二人で朝食。パン、フルーツ、チャイのシンプルメニュー。安っぽいパンだが、妙なモチモチ感がたまらない。そしてチャイがまた秀逸。庭に植えているレモングラスのような葉を入れたらしい今朝のは、また格別だ。ミモはイタリアで音楽関係の仕事をしているらしい。日本とも取引きがあるらしく「CISCO」という東京の有名レコード店の名を口にしていた。おれの顔を見る度「TAKA!」と大きな声で叫び、満点のスマイルをくれる気分のいいヤツだったが、この朝食の後お別れだ。客はいよいよおれ一人に。

8:30。スターフィッシュとの約束の時間。浜を右の方へ2分程歩いて待ち合わせの場所へ。新顔のキャプテンと3人でダウの帆を張り出航だ。大きな帆に気分良く風を集め、薄曇りの穏やかな海の上を音も無く滑って行く。なんとも贅沢ないい時間。このスピードを体感してこそ、ここの暮らしの一端でも理解する手立てを手にすることが出来るというものだろう。ふと、頭の中で「進歩とは?」と、疑問が浮かんできた。今乗っているこの素朴極まりないダウ船も進歩の賜物だろう。しかし、この知恵の塊であるダウに船外機を付けたら、更に進歩をしたと言えるだろうか?確かにスピードアップはするし、昨日のように突然の天候の変化にも心強いだろう。しかし...。天気や海の状況をある程度無視して、今迄以上のスピードで暮らすと言う事が、如何なる意味を持つのか?注意深く観察していた潮や風を読む力は鈍くなり、ここに住む魚達との会話もぎこちないものに変わっていくだろう。だだ、スピードを上げ、魚群探知機で魚の居場所を探し出し、天候も潮もある程度無視出来る、そんな状況。言い換えれば、「より速く」、「より多く」、「いつでも」だ。自然から受け取る暮らしから、自然からもぎ取る暮らしへ。「北の国から」の吾郎さんも純や螢に言っていたではないか、「自然から頂戴しろ!」と。身の丈を越えた人間の振る舞いが、調和や安定を駆逐し、正気を狂気に変えてしまう。身の丈を越えたテクノロジーに依存し、時には調和や安定などより狂気や破壊、混沌や退廃などに魅力を感じてしまう俺がそう思うのも変な話だが、今はこのダウのスピードで育まれ培われて来た知恵や豊かさに、身を委ねていたいと思った。いいじゃない、このスピードで。このスピードで、生きると言う意味をもっと考えてみたいと思った。

ここ最近なんとなく不愉快に感じる「スローフード」及び「スローライフ」。まあ、何にせよブームという物には、冷や水を浴びせ、ブームの渦中でアホ面曝している奴等を蔑みたいと思ういつもの「あまのじゃく」なのだが。この「スローブーム」、ちょっと質(たち)が悪い。さっき言った通り、身の丈を越えテクノロジーに依存し、無自覚に先進国以外の地域からあらゆる物を搾取しているおれ達「こっち側」の人間が、そのやり方を選択しなかった、或は出来なかった「あっち側」の本来的に理想に感じる「のんびり」や「ゆっくり」までも欲しがっているように感じるからだ。進歩(定義はともかく)するために置き去りにせざるを得なかった「スロー(なにがスローだ!のんびりでいいじゃねぇ〜か!何でも横文字とは頭もセンスも悪いぞ)」を今さら取り戻そうなどと、ふざけた事を抜かすんじゃねぇ!本当にはスローに生きる気もない連中が上っ面だけ身に纏って口からまき散らしてるだけで、気分が悪い。「スローフード」及び「スローライフ」という物が本当にあるとしても、それは流行りでも趣味などでもあるはずが無く、地域やその人達の民族に合った生理そのものだろう。おれ達がスロー何とかで、更に豊かで充実した暮らしや人生なんてインチキも甚だしいよ。それを世間にまき散らしているメディアの連中は立ち止まることさえ許されない生き方をしてるんだろうが。このダウのスピードは、ただのリラックスや癒しなんかじゃないぜ。ダウを操る知恵や経験、身体的な逞しさが無きゃダメだ。おそらくおれには、このスピードで生きる、生き抜く「リアル」は本当には理解出来ないだろうし、日本の暮らしを飛び出してまで理解する必要も無い。ただこのスピードを体感し、少し「何か」を感じれば充分だろう。そして無自覚な搾取(そう!これこそが、本当に謙虚に考えるべき我らのテーマだ!)という物に思いを巡らせるのだ。せっかく日本から来たんだ、そのくらいの考察は、これからの釣りが白けない程度に行ってもいいだろう。ゆっくりメシ食ってイライラするようなおれ達が本当の「スローフード」や「スローライフ」など、ちゃんちゃらおかしいのだ。

リーフエッジ手前のポイントに着くと、早速釣り開始。今日の餌は今朝ナホダが捕った物かは定かではないが、ゴカイだ。キャプテンは20そこそこの若者だが、身のこなしはもうすでにベテランの域に達している。その証拠にあっと言う間にカワハギが掛かる。そしてスターフィッシュの方はといえば、イマイチ。名前負けしてるね。昨日と同じように魚が掛かると、糸を俺に渡してくれ、手応えを楽しませてくれる。喰いが悪くなると、早々と見切りを付け新しいポイントへ移動だ。割と調子いいキャプテンとは対照的にスターフィッシュはアタマが痛いなどと言い出し、あっけなくリタイヤしてしまった。それでも約束の2時間を30分ほどオーバーし、11:30に戻って来た。釣果はまあまああか。1月2日にサンゴの上を歩いてタコを捕り、そして運が良ければイルカも見れると言う素敵な約束をして別れた。

浜に着くと日本語を勉強しているというジュマが話し掛けて来た。こんな遠い島で、日本語とは。勉強の成果と言っても、「こんにちは」「ありがとうございます」など、挨拶程度の言葉を2、3知っているだけだが。それでも話し掛けられれば嬉しい。カタコトのスワヒリで応戦だ。

のんびりしたいのだが、なかなかそうさせてくれないのが、サンパラの面白いところ。いろんな村人が遊びに来ていろいろおしゃべりをして行くのだ。昨日浜で「UNI! UNI!」と叫んでいた隣のイッサが遊びに来た。今日の彼も「うにうにうにあろっとおぶうにぃ〜!」とやたらハイテンションだ。サルーのヘルパーのバラカと一緒に日本から持って来た「味ごのみ」を食べる。ここでの食事が意外にも口に合うので、日本の味に餓えた時の非常事態緊急避難食として大事に保管していたのだが、早くも大放出だ。二人とも日本の味に御満悦の様子。ここでビールといきたいところだが、イスラムを尊重して、コーラで乾杯。世間話の楽しい時間。次はズベ。丸っこい体に丸っこい顔。コミカルな風貌が名前にマッチしている。歯切れのイイ英語がおれの耳に優しい。彼も日本語を勉強しているらしい。日本を発つ前に慌てて買った「スワヒリ語⇔日本語⇔英語BOOK」をバックパックから引っぱり出して、彼に見せる。買っただけで安心し、ろくに見てなかった本だ。3,600円もしたのに。日本語の言い回しが妙に丁寧すぎるのは、かなり古いせいだろうか。買ったものの、使いづらいので帰る時にでも彼にプレゼントしよう。ズベは早速この本をパラパラめくり、宝の山を見つけたような喜びようだ。帰り際に、あさっての夕方うちへ来いと、誘ってくれた。そればかりでなく、何かプレゼントもくれるらしい。ここに来る前に、東海岸の田舎なんて海だけの退屈で暇なところだと誰かが言ってたけど、ヒマでボーッと出来る時間ってあんまり無いよ。

2:00、遅い昼飯。カレー、チャパティ、魚、チャイ。相変わらずウマイが、それにしても量が多い。いくら美味しくったって、この量はうぅ〜。